世界の偉人についてのブログ

偉人に関する話題を取り上げていきます!!!

全ては実話から

子供の頃、漫画を好きで好きで読んでいると母親から「あんたいつまで遊んでるの!?勉強しなさい」と怒られたが、小説を読んでいると「小説読んでるの?偉い偉い」と褒められた。

同じ読み物なのに何故こんなにも反応が違うのかわからなかった。

ただそこから楽しみながら、褒められる「小説」にハマっていったことが、自分の小説家を志すキッカケになったことは間違いない。

 

そして沢山の小説を読んでいて、面白い小説の共通点をいくつか見つけた。

実話が元になっているものが多いと言うこと。

 

特に感じたのがサスペンス物なのですが、我々凡人脳みそでは思いもつかない方法でサイコパスは人を殺めて、更に同期が想像付かないことも多い・・・

コレは小説家がどれだけ眠らず何年考えても思いつきません・・・

それは彼らサイコパスとの思考や快楽の感じ方が全く違うからです。

なので小説家は、困ったら事件を追うことが多いです。

 

その中で今回自分が注目しているのは、「出光のお家騒動」です。

これは現在の経営陣が、大株主の創業家の意見を無視し、強行突破で昭和シェルとの合併を企んでいることです。

出光自体は創業者が以前「海賊と呼ばれた男」のモデルとして描かれた事がありました。

しかし今回のお家騒動は、美談ではなくドロドロとしたお話しのモデルにできそうな感じです!

現・経営陣のやり方が汚すぎてそのまま小説にできそうです!

創業家の持ち株を、公募増資で減らして発言権を無くそうとしているのです!

そしてそんな無茶が裁判で正式に認められるということに・・・

こんなことが許されたら、今後株主の混乱が考えられる・・・

 

このまま結末までちゃんと見ていたいです。

このまま創業家が引き下がるのか、それともまだまだ戦うのか見ものです!

 

また公募増資した分を創業家側が買えば立場は再び創業家のほうが上になるとは思うのですが、それをどうするのか!?

偉人を扱った映画を見ると面白い

当然のことではありますが、私たちが生きている時代は、過去を生きた人たちが築いた歴史があるからこそ、それに続いて存在しているものです。特に何か大きなことを成し遂げるなどして、現在では偉人と呼ばれている人たちの存在は、その歴史を語る上で大きな意味を持っていると言えるでしょう。なのでそういった人たちが生きていた頃の歴史を知るということは、多くの人にとって興味深いものになり得るものではありますが、伝記の本を購入して読んだり、テレビの教養番組を見たりするといったやり方は、なかなかハードルが高いものだと感じる人が少なくないでしょう。偉大なことを成し遂げた人の話は、どうしても硬い内容になりがちですから、文字だけの伝記を読むとなると退屈してしまったり、淡々と事実ばかりをつなげて作られることの多い教養番組では、見ていて眠くなってしまったりといった恐れがあるのです。偉人の生きざまには関心があるけれど、小難しい内容の本や番組では最後まで見続けられる自信がないという場合には、そういった人たちを主人公とした映画、いわゆる伝記映画を見るというやり方が考えられます。
実は私自身も、伝記の本を読んだり教養番組を見たりするのはあまり好きではないのですが、映画はかなり好きな方なので、伝記映画を何本も鑑賞したことがあります。それらを見ると、何と素晴らしい人がいんだといったような感銘を受けたり、あの有名な人でもそんな苦労があったんだと意外な発見があったり、あんな偉大な人でも結構人間くさいところがあったのかと驚いたりと、その作品によって受けた印象は様々でしたが、そのほとんどを面白く見ることができました。
偉人を扱った伝記映画の魅力としてまず挙げられるのは、観客に楽しんでもらえることをある程度意識して作っているということで、退屈することが少ないという点です。そのために実際にはなかった描写が織り交ぜられることがないわけではないのですが、全くあってはならないほどの改変までは行われないでしょうから、大きな問題とはならないはずです。またある程度顔の知られた俳優が演じることが多いため、実際の偉人とのイメージの違いに戸惑うことがあるかも知れませんが、彼らの演技によってその人物に感情移入しやすくなり、元々抱いていたイメージよりもさらに魅力的な人物に思えてくることも少なくありません。歴史はあまり好きではないという人でも、ストーリーがしっかりとした人間ドラマという感覚で見られるため、とっつきやすいことは間違いないと言えるのです。

飛鳥時代の偉人、聖徳太子

日本の有名な偉人に聖徳太子がいます。飛鳥時代の人物で、紀元574年に生まれ、622年に没しました。「聖徳太子」という名前は諡号(死後に与えられた名前)で、本来の名前は厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)です。おばの推古天皇を補佐する摂政という地位に19歳の若さで就き、蘇我馬子と共に朝廷を支えました。
聖徳太子の功績の1つが遣隋使の派遣です。大陸の進んだ文化を取り入れるため、複数回の派遣が行われました。これにより先進的な政治の仕組みを学び、「冠位十二階」や「十七条憲法」を制定しました。これらには、天皇を中心とした中央集権国家を確立する目的がありました。さらに、朝廷内で、また臣民同士の争いをなくすため、仏教を取り入れました。この点は、十七条憲法の第1条を「和を以て貴しと為す」とした点にも示されています。しかし、このような形で仏教を政治の中心に置くというのは、当時の朝廷内にあってはとても考えられないアイデアでした。というのも、日本には古来からの宗教として「神道」がありました。これは天皇ならびに朝廷にとってはかなり重要な意味を持ちました。天皇は「神の子孫」である、したがって「天皇は神である」という教えの後ろ盾となるのがこの神道だったからです。もちろん、聖徳太子神道を軽んじていたわけではなく、周囲の反発をうまくかわしながら仏教を効果的に利用していったという点で、まさに偉人としての才能を発揮したと言えます。
聖徳太子仏教を広めるため、各地に寺院を建立しました。特に有名なのは、日本最古の木造建築物としても知られる「法隆寺」です。現在の奈良県生駒郡斑鳩町にあるお寺で、「斑鳩寺」とも称されます。紀元607年、推古天皇と共に建立したと伝わります。
さて、聖徳太子の肖像が日本の紙幣に用いられたことをご存じの人も多いでしょう。その肖像が紙幣に初めて登場したのは1930年(昭和5年)のことで、百円紙幣に使用されました。その後、千円、五千円、そして一万円の紙幣に使用されました。合計7回もの登場です。これらに使用された肖像は、聖徳太子を描いた最古のものとされています。
こうして、聖徳太子は歴史的に重要な意味を持つ様々な出来事に深くかかわってきました。まさに「偉人」と呼ばれるにふさわしい人物です。しかし、近年になって、これだけの偉業を一人で成し遂げたとは考えにくい、とか、聖徳太子は実在しておらずのちにその人物像が作り上げられたに過ぎないのではないか、といった考えも出ています。紙幣の肖像も、聖徳太子の死後100年以上のもので、彼を実際に描いたものではないとする説が浮上しています。とはいえ、「これだけのことを成し遂げた人物が朝廷にいた」ということを人々に印象付けることは、天皇家および朝廷の権威を確固たるものとする上できわめて大きな意味を持ったに違いありません。

今の時代は偉人は生まれないのか

現代では偉人と呼ばれるような人が、出にくい世の中になっているのかなと感じる部分があります。
科学が発達して個人で何かを生み出すということが難しいものになっていますから、そのような点でも歴史に名を刻むような人は出てこないのかなと思ってしまいます。
飛行機のような画期的な発明品も抗生物質のような医療を大きく進歩させる発見というのも、個人で編み出すにはすでに出尽くしてしまっている感があるような気がします。
画期的な発明や発見自体は現代でもたくさんありますし、むしろ科学が進歩した分だけ今まで作ることができなかったもの見つけることができなかったものが、作ることができたり、見つけることができたりするようになったわけですがそれらは個人ではなくチームによって生み出されることになりますかから、一人の人間が大発明、大発見をするという機会は少なくなっているのではないでしょうか。

何時の時代であっても天才はそのようなことを物ともせずに、偉大な功績を残したりするわけですが現代は求められるレベルが大きすぎて、個人で名を残すのは少し難しいような気がします。
しかし、それだけに今の時代に名を残すことができるようなことをした人がいれば、それはそれで凄いことだなと感じるので歴史的な偉人を生きているうちに見てみたいと思います。

このように考えてはいるのですが、もしかすると気付いていないだけで後になって振り返ってみると、世界を大きく変えるきっかけとなった人が今の時代にもいるのではないかと思うときはあります。
時々何かを開発、発見した時に個人の名前が出たりしますがその時は軽く流してしまうものの、その中に何十年、何百年先になって人類にとって非常に意味のある発見で文明の進歩に大きく役立った人が知らないだけで今もいるのではという気がするのです。
センセーショナルさに欠けるだけであって、庶民にはわかりづらくても十分に偉人と呼ぶのにふさわしい人はいまでも生まれているのかもしれません。
そう考えると実は偉大な人と一緒の時代を生きているのに、それに気づくことができないというのは不幸だなと言う気にもなってしまうので、偉大なことを偉大だとわかるだけの教養が欲しいと感じます。
何百年先になっても名前が残るような偉人を目の当たりにするということができれば、今の時代に生きていてよかったという気持ちになることができますから、偉人を見落とさないようにしたいです。

功績を知りたい日本の歴史を作ってきた偉人たち

日本で偉人と言えば、パッと思い付くのは戦国武将です。

武田信玄上杉謙信、最近だと真田幸村などは、大河ドラマなどの影響で人気があります。

しかし、戦国武将で有名な偉人と言えば、織田信長豊臣秀吉、そして徳川家康でしょう。

織田信長はうつけ者と呼ばれ、周囲からの評価は高くありませんでした。 ですが、海道一の弓取りと言われた今川義元桶狭間の戦いで破り、美濃も攻略し上洛しました。

その後は各地を平定しながら天下統一を目指したもの、明智光秀の反逆により本能寺で自害します。

本能寺の変で自害した織田信長の後を継いだのが、配下だった豊臣秀吉です。

本能寺で織田信長が自害した一報を受け取ると、戦の最中だった毛利氏と講和し京に引き返します。

わずか10日で200km移動した中国大返しは、あまりにも有名な話ですよね。 京に戻った豊臣秀吉は、反逆者である明智光秀山崎の戦いで打ち破り、織田信長の後継者としての地位を固めます。

その後はご存じのとおり、天下統一を果して戦国の世を終わらせます。 しかし、豊臣秀吉の死後、徳川家康の影響力がしていきます。

そして1600年の関ヶ原の戦い石田三成率いる西軍を打ち破り、1615年の大坂夏の陣豊臣氏を滅ぼします。 これにより戦国の世は完全に終わり、徳川家の時代が始まるわけです。

もし明智光秀が反乱を起こさず織田信長が生き続けていたら、豊臣秀吉が後継者にならなかったら、関ヶ原の戦いで西軍が勝利していたらと、歴史のifを考えると夢が広がります。 しかし、今の日本があるのは過去の偉人が活躍したからです。

もちろん今の日本を作り上げたのは、織田信長豊臣秀吉徳川家康を始めとする戦国武将だけではありません。 特に今の日本に大きな影響を与えたのは、幕末に活躍した維新志士でしょう。

明治維新に大きな影響を与えた坂本龍馬新撰組の副長である土方歳三奇兵隊を創立した長州藩士の高杉晋作など、幕末から明治かけて活躍した維新志士も、戦国武将に負けない多大な功績を残した人物です。

そのため、日本で偉人の名前を挙げろと言われれば、戦国武将か幕末の維新志士を多くの人が挙げます。

それほど多くの日本人に親しまれているのは、ドラマや映画、小説などのモデルになったからでしょう。

最近はゲームやマンガ、アニメなどの影響で、若者にも人気があります。 キッカケはどうであれ、過去の偉人の功績に目を向けて知ることは、日本人として大切なことだと思います。

偉人は時代に恵まれた存在だったのか

偉人と呼ばれる人たちは、時代に恵まれた存在なのかと考えることがあります。 アイデアというのは早い者勝ちですから、それを考えると先に生まれた人ほど有利なところがあり逆に後に生まれた人は不利な部分がありますから時代に恵まれなければ歴史に名を残すことができないとではと思うのです。

その一方で零から一を生み出すというのは何時の時代でも大変なものであり、前例のないものを作り出すというのは凡人にはできないことですから、時代を関係なしに誰よりも先に新しいことをしたというのはそれだけで価値が有ることなのかなとも感じます。 

時代を理由に何もできないというのは正に凡人の言い訳でしかありませんから、現代だから偉人が生まれないというのは決してそのようなことはないのでしょうが、これから世界を大きく変えるような何かを発見する人が生まれてくるのかなという気もしてしまいます。

ただ、実際には百年前の偉人についてもきっと今と同じようなことを言っていたわけで、そのような評価をはねのけて偉大な功績を残した人がいるわけですから現代でも凄い偉大な人物が出てきてもおかしくないはずです。 

例えば抗生物質なんかは今では当たり前のように使われていますが、登場してから百年もたっていないわけで近代にこれだけ大きな発見があったということは、これから何か驚くべき成果を残す人が出てきてもおかしくないですよね。

問題は偉大な功績を残した人がいたとして、自分がそれに気づくことができるのかということです。

現代の新発見というのは何につけても応用問題的なところがありますから、凄い功績を残してもインパクトに弱いところがあります。

ですから庶民にとっては凄さがわかりにくくなっているというのは、残念なところかなという感じがします。 癌の特効薬や画期的な治療法を個人が生み出したということになれば、それは大きな功績になって人類の歴史に名を残すことになるでしょうが、現代で一個人がそのような成果を上げるということは考えにくい部分があります。

特効薬や治療法のきっかけを個人が生み出すことができたとしても、それを実用化するのは製薬会社といった組織によるもので最終的には個人ではなく組織の成果になってしまいそうで、そうなると功績を残した人の名前が表に出てこないこともあるのではないかと思う時があります。

それだからこそ、そのようなことすら跳ね返すような偉人が今の時代にも生まれてきてほしいですね。

偉人を知るということのメリット

現在の世の中には様々な考えや価値観の人が存在するように、過去にも様々な考えや価値観を持った人がたくさん存在していました。今の世の中は過去の人々が築き上げてきた賜物であり、それを次の世代に引き継いでいくことが現代人の使命ともいえます。そこで、現代がどのようにして作られてきたか、また現代における様々な問題や課題はどのようにして引き起こり、どのようにして解決していけばよいのかを考えていくことが必要であり、そのためには過去の歴史をしっかりと振り返ることが重要です。歴史から学ぶ、あるいは偉人から学ぶということは、そういうことです。 歴史を学ぶというのは、主に学生時代において受験対策として学ぶというイメージが強いです。したがって、形式的には覚えて暗記したとしても、それが現代にどう繋がっているのかを理解するまでには至りません。しかも、大人になってから改めて歴史を学び直すには時間が必要になり、その時間を確保すること自体難しいです。そこで、歴史の中でも特に偉人に絞って学び直すことで、最低限の時間で最大限のことを学ぶことが可能となります。具体的に見ていきましょう。 まずは、各偉人の考え方や名言を読んでみることで、当時の世相や情勢の中で、いかにして問題や課題を解決してきたかを学ぶことができます。特に考え方や名言は、現代において仕事やプライベートで困難に遭遇したときに、それを乗り越える助けになり得ます。人によっては、各考え方や名言を座右の銘としている人もいるでしょう。それが素晴らしいものであれば人生の教訓に、悪いことであれば戒めや反面教師として用いるなど、人によって用い方はそれぞれです。偉人を勉強するということは、人生をより豊かにしてくれる効果を持ちます。 次に、偉人を知ることで、おのずと世界を知ることができます。たとえば、日本で有名な織田信長徳川家康坂本龍馬福沢諭吉などを知ることで、それぞれが生きた時代の背景などを一緒に知ることができるし、またそれが世界の人々であれば、当時の世界の情勢を併せて押さえることが可能となります。歴史が苦手な人でも、この方法であれば、各人々の生きざまを勉強しつつ、自然と歴史の大観が把握できるようになるでしょう。 社会人としての教養やコミュニケーションの能力を高めることにも繋がります。社会人として格式の高い内容の会話ができるようになり、またどのような人との会話でも花を咲かせることができるようになります。