世界の偉人についてのブログ

偉人に関する話題を取り上げていきます!!!

マザーテレサに学ぶ

世の中には、ほかの人ではなしえないような偉業を達成する人がいます。その人を偉人と言ったりしますが、偉人は時として突然に現れることがあります。例えば、中学校の英語の教科書に出てくるマザーテレサなどは偉人の一人と言えるでしょう。自らの財産すら貧乏な人に与え、多くの人から慕われました。マザーテレサが偉人といわれる理由の一つは自らの欲をなくしていることです。自分の欲をなくし、貧しい人に与えることで、たくさんの人を感動させ話題になりました。世界には80億人以上の人間がいますが、自分の欲をなくすことがいかに難しいかは、マザーテレサのような人が現れないことからわかるでしょう。人間には皆欲があるにもかかわらず、マザーテレサのように行動できるのは、自分を捨てることではなく、自分は社会にとって重要な人物だと認識することから始まります。
マザーテレサの場合であれば、人を助けることが自分自身の役割であることを認識していたのでしょう。自分の欲を捨てることに成功した人です。
そこから学ぶことができるのは、何も教科書的な話題だけではありません。ましてや、マザーテレサのように自分の欲をなくし人に与えることができる人はほとんどいません。世界では、自分の欲が強いばかりに人と争い多くの人を傷つけたりすることがあり得ます。
基本的には、人間には欲があります。マザーテレサのように自分の欲を持たずに行動をすることは難しいでしょう。もし私たちがまねをするとすれば、できるだけ自分の欲の器を小さくすることです。欲の器を小さくし、その中に自分の欲を入れていき、そこからこぼれたものをすべて他人に与えるようにすれば、マザーテレサに近い生き方をすることができます。
自分自身も満足できるだけでなく、多くの人を幸せにするでしょう。少なくとも人間によくがあるのは、決して自分を豊かにすることが目的ではありません。本来の欲の使い方は、自分自身に使うのではなく可能なかぎり他人に使うことが必要になります。ところが、少し油断すると、とにかく自分が一番になろうという気持ちが強くなり、他人のことを考えられなくなってしまいますが、その時はマザーテレサのことを思い出してみることも重要になるでしょう。
少なくとも、人間が生まれた理由は、自分が贅沢をするのではなく、自分自身を磨き、他人のために何か役に立つことをすることです。そこがぶれていなければ、偉人になれないまでも、よい生き方をすることができるでしょう。

現代人は偉人から学ばなくなっている

自分は偉人の話が好きでよく偉人の話を本で読んだり、アニメで見たりします。そんな時に凄いなと思うのは命がけで何事にもぶつかっているところだと思います。最近はどんどんとこうした話が無くなっていて、現代人はどんどんと偉人から学ばなくなっているという気もしています。学ぶというのが知ることになっていて、実践することになっていないような気がするのです。知識として知ることと、それをすることとは全く別の事なのですが、今はどんどんと知識人だけで出来上がっていて、偉人が出てこなくなっているという気がします。
特に良くないのが自分本位な人が増えていることです。何とこれを国レベルでするところが増えてきました。これまでの世界は概要的には自由競争をしながらも相手の国も慮るということを考えてきました。いわば、本音と建て前を使い分けることが出来ていたのです。ですが、最近は本音だけで国を動かす人が出てきてビックリです。それが人の我が儘であればいいのですが、これを国レベルでやるのですから、これでは偉人のしてきたこととは全く違うことになるといってもいいでしょう。何と自分の国さえ良ければ他の国はどうでもいいということを平気で言う人が選挙で選ばれるというのですから驚きです。
もっと、深く自分たちのことを知る必要があると思います。偉人の話を見聞きするだけではなく、理解をすれば、人間が一人では生きていくことは出来ない、つまり協調していかなければならないことが学べるでしょう。ですが、人はどんどんと楽をすることを考えてしまうようで、豊かになれば自分の権利を主張しだすということで、今では日本でも自国主義が出てきました。都民ファーストということで、都民が一番ということを言い出すところが人気を獲得したりするようになっているのです。
これまでの偉人が凄いのは、凄いことをしてきたということがあるのですが、自分が一番というのではなく、周りに学ぶということをしながら自分を育てることが出来た人たちだと自分などは思います。逆境で自分の命すら危なくなるようなことがあっても、自分の信念を貫いて偉業を成し遂げてきたのです。それは、権利を守ろうとかいうようなことではなかったはずなのですが、どうも人はいい暮らしをするようになると、それが当たり前のようになって、その権利を守ろうとするようです。今の自分たちがいい暮らしが出来ているのは、そうした偉人たちの偉業があったからで、自分たちが作ったものではないのですが、そこに気づく必要があると感じます。

聞けば聞くほど面白い

世界にはいろいろな偉人がいますが、偉人の話は聞けば聞くほど面白いと思います。それだけに尊敬も出来る気がします。成功していることも失敗していることもありますが、どちらの話を聞いても参考になることが多いのが凄いところだと感じます。
現代でもいろいろと凄い人はいるのですが、やはり昔の偉人の方がなんとなく面白いと感じることが多い気がします。というのは、昔の偉人は命をかけて自分のすべきことをしている気がするからだと思います。現代のすごい人は確かにすごいのですが、安全なところで命がけとは違うところで凄いので昔とは感動のレベルが違うような気がするのです。昔の人はトップに登りつめても常に命がけでした。そのため、自分の得た経験などを家訓として子孫に伝えたりすることもよくあります。生き残るということがそれだけ難しいような時代もあったわけで、そうした人たちが為してきたことを考えていると、今の自分がどれだけ恵まれているのかということも分かる気がします。
昔の偉人には政治家というか独裁者が多いわけですが、今の政治家とは全く違うところがあります。それが自分の命を懸けて政治をしているところです。よく独裁者と勘違いされて悪役になるようなこともありましたが、昔の政治家というのは命がけです。平和な時であれば問題なく勤まるかもしれませんが、いざことが起きると命を懸けて自分の所領を守らなければなりません。ですから、覚悟のほどが違うのだと感じます。自分に出来ることは全てやって常に戦っているのです。負ければ死ぬというような状態で政治をしている人と、今の政治家のように権力だけが欲しいというのとでは全く意味が違うでしょう。偉人の話を聞くたびに、今の政治家の駄目さ加減が分かるような気がします。これは能力ではなく、根底にある覚悟の差だと思うのです。偉人のすごいところは能力でもなくて、この覚悟のほどが違うので、話を聞いたり、本で読んだりしていて、この覚悟に感動をするのだと自分などは思うようになっています。能力は確かに人並外れた人もいるのですが、それを伸ばしていけるかどうかは、本人の考え方によります。そして、自分の考えた通りにするというのは、昔の人ほど難しかったはずです。その状態で自分の考えた通りに出来るというところが凄いところです。現代ではまるで聞くことが出来ないような苦労話が聞けるのが偉人伝ということになるのかもしれません。

日本人に人気の高い偉人

人類の長い歴史を紐解いていくと、偉人と呼ばれる人々が数多く存在します。偉人とは、優れた仕事を成し遂げて世の中のためになる功績を残した人であります。偉大な人であり、多くの人々から広く尊敬される存在の人なのです。この文字の「偉」には、並外れる、特別優れているなどという意味を表す漢字であり、その文字を使った「人」であることからも、特別な存在であることが分かります。
日本の中にも数多くの偉人と呼ばれている人が存在します。どの偉人も非凡なる才能や思想、その行動力によって生前から人々の注目を集めていた人がほとんどですが、その人物が亡くなった後に、時間の経過と共にその人物が残した形跡等が広く評価されて偉人と呼ばれる様になる場合も少なくないのです。
日本をはじめ世界には数多くの偉人と呼ばれる人物が存在しますが、特に日本人の中で日本人に人気の高い偉人にはどのような人がいるのでしょうか。日本においてはたくさんの人々が様々な方法で、日本人が考える日本の偉人についてアンケート等で人々の意識調査を行ってきています。日本の長い歴史の中で偉人と呼ばれる人の数は非常に多く、様々な人物の名前が挙がりますが、どのタイミングであっても人気の高い上位にランクインする偉人としては、坂本龍馬織田信長の名前は必ず上位に挙がります。
坂本龍馬とは江戸時代末期の土佐藩郷士であり、江戸幕府を倒して大政奉還を成し遂げ、明治維新に貢献した実業家でもあります。政治の実権を武力ではなく平和的な方法で征夷大将軍から朝廷(天皇)に移行することに成功したことでも有名です。時代の先を見据える眼力と、人とは違う信念や考えを貫き通す力、現代社会に繋がる日本の新しい時代の幕開けを行った人物として尊敬されているのです。
尾張戦国大名の家に生まれた織田信長は、一大名の家元に生まれながらも天下統一への道筋を立てた戦の名手として有名です。また、政治的手腕の高い人物としてもその名前は知られています。関所の廃止や楽市楽座の政策などでて経済の発展を成し遂げます。有名な長篠の戦いでは、最新兵器である鉄砲を使用することで敵武将を圧倒していきます。
変わり者と呼ばれても新しいものを取り入れる姿勢や信念を通すカリスマ性などに魅力を感じる人は少なくありません。
このように、人々がこれらの偉人に惹かれる理由としては、一つの時代を築き上げたその強さや行動力にあるとも言えます。その偉人が成し遂げた功績の根底には、揺るがない強い志や信念が存在します。時代の先を見据えた深い考えや行動力は、時代を超えて人々の心に大きな共感と尊敬の念を感じさせるのです。いつの時代にもそのような強さを持ってリーダシップを発揮できる人物に人は強く惹かれるのです。

アインシュタインが遺した数々の名言

数多く存在する偉人たちの中でも私にとってとくに興味深い人物として挙げられるのが、「アルベルト・アインシュタイン」です。現代物理学の父とも評される彼は、調べれば調べるほどに不可解な偉人で、興味が尽きません。彼は1905年の「特殊相対性理論(Special relativity)」と、それを発展させた1915から16年の「一般相対性理論(General relativity)」により、人類がおよそ2000年にも渡る長い時間をかけて築き上げてきた世界の像を、根底から覆してしまいました。彼の考えが世に発表されるや否や、それまでの常識は常識ではなくなります。なにせ、彼の唱えた説というのが、時間や空間は恒久不変なものではなく、時と場合によって伸び縮みするものであるというものなのですから、当時に生きた人々にとっては、今まであった普通というものまで疑いたくなってしまうほどの衝撃だったことでしょう。
また、アルベルト・アインシュタインは科学的な成果のみならず、とてもユニークな考え方をする哲学者としても知られている偉人です。物腰は非常に柔らかく、とても大らかな人間性だったと言われる彼には、彼独自の物の見方・捉え方があり、それは彼の遺した数々の名言からも伺うことができます。「信仰のない科学は不完全だ。科学のない信仰は盲目だ。」という名言からは、彼が一科学者であると共に哲学者でもあったということを、明確に表している一言です。
そして私がとくに興味深いと思っているのが、「私は未来のことを考えたことはない。すぐに現実になるからだ。」という一言です。これは言葉をそのまま捉えれば、私たちが考える未来はすぐ次の瞬間であり、考えても仕方のないことだいうような意味に受け取れます。しかしほんの少し見方を変えれば、現実というのは私たちの思考が具現化したものであるというような意味にも捉えられるのではないでしょうか。現実になることというのは、全て自分の思考であり、だからこそ未来を考えることはしないと。
こんな風に、見方を変えるだけで色々な意味として捉えることのできる名言を、アルベルト・アインシュタインはいくつも遺しています。それこそが、彼が科学者であり哲学者でもあった証明だと、私は考えます。深い思考があったからこそ、素晴らしい偉人の一人であるアルベルト・アインシュタインは現代物理学の父と呼ばれるまでの人物となったのでしょう。

アイデアの源

今の私たちの便利な暮らしは、過去の偉人たちによって作られたと言っても過言ではありません。過去に存在した偉人の誰か一人が欠けていたなら、今のような生活を送ることはできていないはずです。それほどに、彼または彼女らは人類にとって必要不可欠な研究結果や成果を生み出してきました。
病気になっても薬を飲んだり、適切な治療を受けたりして症状を改善することができるのは、過去に生きた人々が命を懸けて改善策を見つけ出してきてくれたからです。夜になっても明るい電気のもとで楽しく生活できるのも、発明家が電気というものを見つけ出し、活用する術を見つけ出してくれたから。世界中の国を楽に訪れることができるのだって、優れた乗り物を作り出してくれた人たちが存在するからであり、彼または彼女たちの内の誰か一人でも欠けていたならば、今のような過ごしやすく快適な生活は実現していなかったであろうと、十分に考えられます。
私たちの生活は、過去の偉人たちによって支えられているのです。ですから、毎日の平和な生活に感謝するだけでなく、過去に生きたさまざまな分野の偉人たちに対する感謝も忘れてはいけないと、私は考えます。
当たり前に存在するものなど何一つないこの世の中に、人々がより暮らしやすく便利になるような発展や進化をもたらしてくれた偉人たちに対する尊敬と感謝を持ち続けることで、新たな発見や気付きがあるのではないでしょうか。
偉人たちについて調べていると、彼または彼女たちの多くは、日々の暮らしや周囲の人々に対して常に感謝を忘れなかったということに遅かれ早かれ気付きます。ある偉人は一日に「ありがとう」と何回も言っていたそうです。
素晴らしい発明や発見をした偉人たちは、いつだって感謝の気持ちを持ちながら、多くの人の幸せのために研究や開発に取り組んでいたのではないかと思うのです。自分のためではなく誰かのためだからこそ、途中で諦めてしまうことなく、最後の最後である「成功」の日まで、必死に突き進めたのではないでしょうか。
このように考えると、偉人たちが遺したものは単に素晴らしい研究結果や発見・発明というものだけでなく、もっと奥の深い、心の面での教えまで遺してくれてるのではないのだろうかと思えてならないのです。誰かのためだからこそ、より便利でより優れたものを求められます。そこには究極の利他的考えが存在し、そういった考えからいつの時代も光り輝くアイディアというものは生まれてくるものなのかも知れません。

偉人たちの本を繰り返し読んだ過去

両親が毎日忙しく働いていたために、ろくに遊びにも連れて行ってもらえず構ってももらえなかった私は、自然と本の世界にのめり込んでいきました。ファンタジーものや冒険ものなどのさまざまなジャンルの本を読みましたが、中でもとくに興味津々で読んだのが、過去の偉人について書かれた本です。
偉人たちは皆がそれぞれに自分たちの信念を貫くために努力し、その結果、現在に伝わるような成功を手にしています。彼らの遺した成果や結果は現代を生きる私たちの生活を支えてくれており、彼らがいなければ無かったものです。そう考えると、彼らのことをもっともっと知りたくなり、小学校・中学校・高校と、常に偉人について書かれた本を持ち歩いては、繰り返し読み続けました。
沢山の偉人の中でもとくに私が好きなのが、アルベルト・アインシュタインです。よく使用されるアインシュタインの写真が舌を出しているもののせいか、よく変わり者という表現を使われたりもしますが、私は彼のことを心の底から尊敬しています。彼の遺した言葉の数々が、幼少期を寂しい気持ちで過ごした私を支え、育ててくれました。彼の言葉の中に「空想は知識より重要である。知識には限界がある。想像力は世界を包み込む。」というものがあり、私はその言葉が大好きです。
本を読むことが好きだったので、勉強も同じだけ好きだった私は、学生の内に精一杯勉強に励みました。毎日毎日とにかく必死で勉強し、時には一日2時間ほどしか睡眠をとらなかったり、寝ずに十日間もの間ずっと勉強し続けたりもしました。そんな時にふと、知識には限りがあって、頭で考えているだけでは物事を成し遂げることはできないのではないかと気が付いたのです。一方、想像というのは無限の可能性です。過去に存在した偉人達は皆、知識から何かを発明・発見したのではなく、想像力から何かを思い描き、それを実現してきました。まず、想像力があったからこそ、実現したり立証する行動に繋がり、底意知識が加わったことで確かなものになったのです。このことが分かった時、私の身体には電撃のような衝撃が走りました。
それからは、もう一度新たな角度から偉人たちについて調べるようになりました。すると、彼らの成功の原点には必ずまず想像や妄想があることが分かりました。アインシュタインの遺してくれた言葉が今の私に新たな気付きを与え、それにより私のものの見方や捉え方が大きく変わることとなりました。
すべては想像からはじまる。想像が無ければ何も始まらないのだと分かってからは、常に自分にとって「こうだったらいいな」ということを想像し、それを実現するための行動を起こしています。