世界の偉人についてのブログ

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渋沢栄一

5年後の2024年に日本円紙幣のデザインが一新されることとなり、つい最近次の紙幣の顔となる日本の偉人たちが発表されたことも記憶に新しいですよね。
当然、紙幣の顔になる方々なので残した功績も素晴らしいものばかりなのですが、特に今回注目していきたいのが新1万円札の顔となることが決定した渋沢栄一です。
渋沢栄一は明治時代から昭和初期に活躍した実業家として知られております。
元々、渋沢栄一は米や麦、野菜の生産だけでなく養蚕や染料の製造販売までも手掛ける豪農出身です。
14歳頃から藍葉の仕入れを単身で行うようにもなったのですが、この時の経験がその後のヨーロッパの経済システムを吸収しやすいベースを作ったとされています。
攘夷の思想を持っており、一時は倒幕を計画したこともある渋沢栄一ですが、一橋家家臣が推薦したことにより一橋慶喜に仕えることとなりました。
その後、一橋慶喜が将軍となった際には幕臣となり、慶喜の弟が出席するパリ万国博覧会の随員として共にフランスへ向かうことに。
ヨーロッパ各国を訪問したことで、当時の先進的な産業や軍備し、そこで将校と承認が対等に交わる社会性を目撃し感銘を受けたのです。
倒幕し新政府となってからは帰国を命じられ、日本で商法会所を設立しましたが大隈重信に説得されて大蔵省に入省することとなりました。
官僚時代には銀行の設立を指導をしており、退官後は指導していた第一国立銀行の頭取に就任しました。
それ以降、様々な企業の設立、経営に関わっていくことになります。
その数は500以上とも言われていますが、これほどまでに多くの企業を設立することに尽力したにも関わらず財閥を作らずにいたのは渋沢栄一の「私利を追わず公益を図る」という信念に基づいたものでした。
日本赤十字社や養育院、東京慈恵会の設立にも携わるなど社会活動にも積極的に行っていたり、商業教育にも力を注ぎ数多くの大学の設立にも協力を惜しみませんでした。
渋沢栄一は日本経済界に大きな影響を与えた人物でもあり、日本の福祉・教育分野にも尽力した人物なのです。
素晴らしい功績を残しただけでなく、自己利益のためでなく公益のために動いていた渋沢栄一はまさしく近代の偉人と言えますね。