世界の偉人についてのブログ

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江戸時代の偉人たち

江戸時代は約260年間にわたって続いたこともあり、幕末まで多くの偉人たちを生み出してきました。島原の乱などの戦乱も一部にありましたが、基本的には平和であったため、多くの文化が花開くことになります。

最初には、江戸幕府の初代将軍となる徳川家康を紹介しなければなりません。三河岡崎城で生まれてからは、今川家の人質として活動し、忍耐を重ねて出生街道を突き進んだ武将です。最終的には豊臣家を滅ぼして、太田道灌が築いた江戸城を拡張して江戸幕府の繁栄の基礎を作りました。鷹狩りや漢方にも造詣が深いため、多趣味な偉人としても有名です。

江戸時代のご意見番としては、大久保彦左衛門と徳川光圀が代表的となります。大久保彦左衛門は三河時代からの老臣として知られ、晩年には三河物語を著しています。有名な逸話は創作が多いのですが、質素倹約を基本にした食生活を実践し、当時としては驚異的な長生きをしたことは事実です。徳川光圀水戸黄門として名高く、日本で最初にラーメンを食べた偉人としても知られています。実際には水戸と江戸を行き来することが多く、時代劇のような諸国漫遊は創作だったのですが、大日本史の編纂に関わっているため、博学なお殿様であったことは確かなようです。

江戸時代の学者では、養生訓を著した貝原益軒は特別な存在です。養生訓は現在の健康バイブルのようなもので、長生きするための心得が分かりやすい言葉で書かれています。さらには、漢方に関する逸話も多く紹介されていることも特色です。食事に関する項目には、現代人にとっても参考になる部分が多いです。食べ過ぎや栄養の偏りが気になるときには、養生訓を読み直すだけでも気分が違ってきます。

江戸時代の土木技術者では、関東郡代伊奈忠次が代表的です。徳川家康の時代から活躍した武将で、関東流の土木技術の使い手でもありました。江戸は利根川や荒川などが流れ込む場所で、下町低地は湿地帯になっていました。そのままの状態では庶民が快適に暮らすことができませんから、徳川家康利根川東遷を行うことを決意して、伊奈忠次が工事の陣頭指揮を行うことになったのです。伊奈忠次の尽力によって、江戸湾に流れていた利根川は銚子方面へと流れを変えて、江戸で都市開発を行うための基礎が完成しました。伊奈忠次が始めた工事は子孫へと受け継がれ、見沼代用水の開削も行われたことから、当時世界一の人口を誇った江戸の台所を支える穀倉地帯が形成されています。