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飛鳥時代の偉人、聖徳太子

日本の有名な偉人に聖徳太子がいます。飛鳥時代の人物で、紀元574年に生まれ、622年に没しました。「聖徳太子」という名前は諡号(死後に与えられた名前)で、本来の名前は厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)です。おばの推古天皇を補佐する摂政という地位に19歳の若さで就き、蘇我馬子と共に朝廷を支えました。
聖徳太子の功績の1つが遣隋使の派遣です。大陸の進んだ文化を取り入れるため、複数回の派遣が行われました。これにより先進的な政治の仕組みを学び、「冠位十二階」や「十七条憲法」を制定しました。これらには、天皇を中心とした中央集権国家を確立する目的がありました。さらに、朝廷内で、また臣民同士の争いをなくすため、仏教を取り入れました。この点は、十七条憲法の第1条を「和を以て貴しと為す」とした点にも示されています。しかし、このような形で仏教を政治の中心に置くというのは、当時の朝廷内にあってはとても考えられないアイデアでした。というのも、日本には古来からの宗教として「神道」がありました。これは天皇ならびに朝廷にとってはかなり重要な意味を持ちました。天皇は「神の子孫」である、したがって「天皇は神である」という教えの後ろ盾となるのがこの神道だったからです。もちろん、聖徳太子神道を軽んじていたわけではなく、周囲の反発をうまくかわしながら仏教を効果的に利用していったという点で、まさに偉人としての才能を発揮したと言えます。
聖徳太子仏教を広めるため、各地に寺院を建立しました。特に有名なのは、日本最古の木造建築物としても知られる「法隆寺」です。現在の奈良県生駒郡斑鳩町にあるお寺で、「斑鳩寺」とも称されます。紀元607年、推古天皇と共に建立したと伝わります。
さて、聖徳太子の肖像が日本の紙幣に用いられたことをご存じの人も多いでしょう。その肖像が紙幣に初めて登場したのは1930年(昭和5年)のことで、百円紙幣に使用されました。その後、千円、五千円、そして一万円の紙幣に使用されました。合計7回もの登場です。これらに使用された肖像は、聖徳太子を描いた最古のものとされています。
こうして、聖徳太子は歴史的に重要な意味を持つ様々な出来事に深くかかわってきました。まさに「偉人」と呼ばれるにふさわしい人物です。しかし、近年になって、これだけの偉業を一人で成し遂げたとは考えにくい、とか、聖徳太子は実在しておらずのちにその人物像が作り上げられたに過ぎないのではないか、といった考えも出ています。紙幣の肖像も、聖徳太子の死後100年以上のもので、彼を実際に描いたものではないとする説が浮上しています。とはいえ、「これだけのことを成し遂げた人物が朝廷にいた」ということを人々に印象付けることは、天皇家および朝廷の権威を確固たるものとする上できわめて大きな意味を持ったに違いありません。