世界の偉人についてのブログ

偉人に関する話題を取り上げていきます!!!

新選組のあの人はイケメンだった!

世の中には数多くの偉人たちがいますが、中でもイケメンだったとして注目を集めているのが、土方歳三です。
土方歳三新選組の副長で、別名「鬼の副長」として周囲からは恐れられていました。
土方歳三は副長という立場から、新選組における厳しい掟を作ると共に掟を破ったものに対しては切腹させるなど、新選組の規律を守るために自ら憎まれ役として新選組の活躍に貢献してきたのです。

新選組が有名になったのは、池田屋事件がきっかけでした。
池田屋事件は、孝明天皇を長州へ連れ去ることを企んでいた一橋慶喜松平容保らを暗殺し、その計画を実行できないようにする戦闘でもあったのです。

土方歳三新選組で活躍する前は、征夷大将軍・14代将軍徳川家茂の警護部隊「浪士組」の一員で幕臣を務めています。
この「浪士組」はのちの新選組となり様々な活躍をしていきました。
土方歳三は、身長が168㎝あり当時の平均身長よりも高く、かなりのイケメンだったようです。
地元でもイケメンとして有名で京都や江戸に多くの女性がいたともいわれています。
イケメンでしかも剣の技術もかなり高かったようです。
沖田総司永倉新八にはかなわなかったようですが、それでもほかの人からみれば強かったとされています。
土方歳三は、剣技もさることながら指揮官としての能力も持っていました。
新選組の副長として、組員をまとめる力はかなりのものでした。
土方歳三は、34歳の若さで馬上で銃弾にあたり戦死してしまいました。
土方歳三の偉業は、多くの文献で紹介されていますが、イケメンだったことには驚きでした。

 

マリリン・モンローを支え続けたジョー・ディマジオ

ジョー・ディマジオは、メジャーリーグのスーパースターとして有名です。
漁師の家に4男と生まれました。
彼は9人兄弟の8番目として誕生しましたが、9人兄弟のうち3人がメジャーリーガーというスーパー家族でもありました。

ジョー・ディマジオは、サンフランシスコ・シールズにてプロ野球人生が始まり翌年には61試合連続安打を記録するなどの行為成績を残しています。
その後も、素晴らしい実績を積み重ねヤンキースからメジャーリーグデビューすると、打率3割2分3厘、29本塁打、125打点という記録を残したり、MVPや首位打者として表彰されるなどチームの勝利にも大きく貢献してきました。
そんな大活躍をしたジョー・ディマジオですが、その一方で現役引退の翌年、球団の宣伝を通してマリリン・モンローと恋に落ち結婚しました。
お互いに2回目の結婚ではありましたが、当時、新人女優と球界のスーパースターの結婚ということで大きく報道されました。
二人が付き合うようになったのは、ジョー・ディマジオの一目ぼれによるものだったようです。
二人の新婚旅行先は日本だったというのも有名な話です。
新婚旅行では、ジョー・ディマジオが自分の人気ぶりをマリリンに見せつけようとしていたようですが、その時はすでにマリリン・モンローも大人気女優となっていたこともありジョー・ディマジオへの期待度は少なくがっかりしたようです。
その後、二人の結婚生活は、8か月でピリオドを打つ結末に。
マリリン・モンローの葬儀にも参列するななど、離婚後も一途に思いを寄せ支え続けていたようです。

 

偉人の有り難い言葉

学生時代は、将来に対して大きな夢を抱いていても、いざ社会人になってみると、社会の厳しさや仕事の厳しさを思い知らされますよね。
厳しい現実に遭遇すると心が折れそうになりますが、そんな時に役立つのが偉人の有り難い言葉です。
若い頃の純粋な夢を思い出させてくれ、もう一度がんばろうという気持にしてくれますよ。
仕事で壁にぶち当たって立ち止まっている人は、偉人の言葉をかみしめるべきで、そこには乗り越えるためのヒントが隠されています。

日本の偉人で有名な言葉に、世の既成概念を破るというのが真の仕事である、という言葉があります。
この言葉は、とても心に響く名言で、日本を生まれ変わらせるために奔走したある人物の人生を象徴している名言です。
既にあるサービスや商品だけで儲けるのは難しく、仕事を成功させるためには、現状打破の心意気が必要です。
着眼点は、まだ世に出ていないものに目をつけることで、それこそが、この名言の言う既成概念を破ることに繋がります。

偉大なアイデアマンであった海外の偉人も素晴らしい名言を残しています。
それは、自分が出したアイデアを少なくとも一回は人に笑われるようでないと、独創的な発想をしているとは言えない、というものです。
これはけだし名言で、実際に考えてみると、仕事で何かアイデアを思いついた時、きちんと上司に提案している人は少ないのではないでしょうか。
多くの人は、アイデアが浮かんでも、ひょっとして人から笑われるのではないかと躊躇することが多いです。
そうした中、この名言は、アイデアは人から笑われるような突拍子のないものでないといけない、と叱咤激励しています。
要するに、仕事を成功させるには、常識にとらわれない斬新な独創的なアイデアが必要であると言っているのです。
新しい道を切り開くためには、少しくらい常識はずれなアイデアの方がむしろちょうど良いのかもしれませんね。
この言葉は、仕事での常識を破る勇気の重要性を示唆している偉人の名言と言えるでしょう。

日本の偉人の言葉で、印象に残る、仕事に役立つとても素晴らしい言葉があります。
それは、争うなかれ、という短い名言で、この言葉は、冷静になる心を取り戻す力があります。
仕事を続けていると、同じ会社や同業他社と争い合う状況になることがよくありますが、争うために商売をしているわけではありません。
何のために仕事をするのかということを考えさせてくれる言葉で、仕事は世のため、人のためにあることを教えてくれる名言です。

アニメから歴史が好きになる

最近テレビで偉人が猫になって登場するというアニメがあってよく見ています。これがかなり面白く作られていて感心します。昔は偉人というとスーパーヒーローのような感じがしていたのですが、今では猫になってアニメに登場するものか出てくるような時代になったのです。そのため、子供にとってはとても親しみやすく覚えやすいようになっているのも魅力的なところです。

ただ、猫になっていることでいろいろと誤魔化しがある気もしますがこれはこれで面白いのかもしれません。見ていると勉強になるなというところと、これはちょっとふざけ過ぎだなと感じるところもあります。まあ、そういったことも含めてアニメなのでいいかなとも思えるところです。

偉人というと何か近寄りがたいイメージもあったのですが、こうしたアニメが出てきたことで、より馴染める存在となることは間違いなさそうです。これまでは歴史が嫌いだったというような子供もこうしたアニメから歴史が好きになるということもあるでしょう。そういった意味ではとてもいいアニメだと思います。猫なのでいろいろなところで、気ままに動いたり、寝たりするというオチがあって笑えるところが継続して見られることにもなっています。

偉人の話には興味がないという人もいるのでしょうが、こうしたものから興味を持ってもらうといいかもしれません。知るといろいろなことで参考になるからです。昔のことだから今の自分には関係ないと思っている人は損をしているかもしれません。人はいろいろな経験を知識にすることで昔の人がした失敗などを避けることが出来るからです。戦争のような悲惨な出来事があったことを知ることで、戦争を知らない世代でも戦争はしてはいけないということを学ぶことが出来ます。偉人はさまざまなことを成し遂げた人たちですから、そうした人たちの苦労をしることで、その価値を知り、今の自分がそうした人たちの苦労の元にあるということを実感することも出来るようになります。

もちろん、今の自分があるのは、そうした偉人の人たち以外の人によるものもあるわけですが、そうした昔の人たちの苦労や努力をしれば、今の自分たちがどういう立場になっているのかということも分かってくるような気がします。偉人がどういう考えでどういう行動をしたので、何が起きたのかということを知れば、自分がどういう行動をすればいいのかということの参考にもなるでしょう。過去に学ぶことは多いという気がします。

偉人たちの苦労は世界共通

ドラマ化されたり、映画化されたり、とかく国や人種を問わず、ひとびとは偉人の話が好きです。
日本でも、日本人の偉人から、世界の大物まで、本が出れば平積みになり、ベストセラーになることも、めずらしくありません。
日本であつかわれる偉人ものは、大きくふたつに分けることが出来ます。ひとつは、戦国時代および幕末もの。龍馬や新撰組など、幕末ものの人気は、いつも一定数あり、衰えません。
ですから、手を変え品を変え映画化などもされるわけですが、人気を確実に得ているのは、織田信長と、坂本龍馬になります。
この二人は、もちろん合いまみえてはいませんが、共通の際立った特徴があります。それは、その時代きってのカブキモノということです。
カブキモノとは、歌舞伎の語源である、派手なやつ、尋常でないやつ、ということです。常軌をいっしたことを平気でやってみせ、人びとを驚かせる、そういう気質の人物だったということが、共通点です。
歴史に残る偉業を成し遂げるだけでなく、ほかの人物より好まれ、愛され続ける偉人は、愛嬌があり、おのれの欠点をも隠さず魅力としてアピールしてしまう性格の人が多いです。
外国の動物を積極的に入れて、人々に象を見せてみた織田信長といい、誰もはかなったブーツを一番はじめにはいてファッションリーダーにもなった坂本龍馬、彼らは、既成概念にとらわれず、人から何を言われても気にしないで、人生をおおいに楽しんだと言えるでしょう。
二つ目は、世界の偉人ものです。アインシュタインや、ホーキング博士、最近で言えば、スティーブ・ジョブズや、マイク・ザッカーバーグ、投資家のウォーレン・バフェットなどです。
皆さんが毎日のように使うAmazonの創設者、ジェフ・ベゾズも、年々人気が出ており、その波瀾の人生に興味を持ったり、影響されるひとも、増えてきています。
彼らは、成し遂げることのスケールが地球規模なわけですが、何がしかの障害がある人が多いのが特徴ともいえます。例えば、ホーキング博士は難病におかされていますし、スティーブ・ジョブズは、シリアからアメリカにわたった、いわゆる難民の二世にあたり、苦労人です。
Amazonのジェフ・ベゾズも、親が学生結婚の上すぐに離婚し、二人目の父親の姓がベゾズで、一人目の父親はどうしようもない男で早死にしたという経緯があります。
偉人と言われる人たちの人生は平坦ではなく、並みの人物より苦労をしていたり、大きな賭けに出て失敗も成功もしているという点は、世界共通のようです。

偉人には迷惑な人が多い

古今東西、偉人は多くいましたが、素晴らしい名作を作り続ける芸術家が、近隣では大迷惑な人で、関わり合いになりたくない人のということは歴史上、多くありました。例えば、次々と名作を生み出し続けた文豪、太宰治は、作品の中で、人情と友情の切なさ、生きることの素晴らしさについて語りながら、本人は何度も芸者と心中未遂を繰り返し、中には太宰だけが生き残って相手の女性だけが死んでしまったという事案もありました。

まさにこれは近くにいると迷惑な人なのでしょうが、美青年である彼はきっと情熱的な愛の言葉を多くの女性たちに投げかけていたのではないでしょうか。意外なことに作曲家や作家の数多くがアルコール依存症で、泥酔しながら作品を書いていました。ベートーベンは酔って路上をふらついていたのをよく見られていましたし、ヘミングウェイ、リスト、ブラームスも酔っ払いでした。シューベルトは公的な晩餐会で泥酔してみっともない姿を度々目撃されています。また、シューマンに至っては、カーニバルの時に酔って宿屋の女主人のスカートの中に手を突っ込んでいました。

最近有名になった、発達障害という概念がありますが、これは、古くはエジソンが注意欠陥多動障害ということで、落ち着きが全くなく、1時間の間に5分ほどの落ち着いた時間があれば良かったそうで、勉強を教えた母親は大変な苦労をしたそうです。後に偉人となったエジソンは、次から次へと発明を繰り返したのはこの障害があったからかも知れません。

コンピュータ技術者で偉人と言われ、次々と最新のテクノロジーを生み出し続けている人々の中にも発達障害の人は多いと言われています。彼らは全く俗世間のことは気にせず、自分が好きなエンジニアリングとテクノロジーのことについてだけは天才的な知識はありますが、日常生活の能力は、からきし駄目な人が多いのです。

シナリオライターや戯曲家、最近の作家、作曲家、歌手などのアーティストにも近くにいたら大迷惑という人は多いようです。アルコール、薬物依存、刑法犯罪者、遠くの偉人としては感心はするのですが、近い関係だったら大迷惑でしょう。

考えてみれば、私たち凡人は、凡人なりに生活していき、世間に迷惑をかけることなく訥々と生活していけばよく、近くにいる人々が偉人の必要性はありません。ごく普通の生活をして、ごく普通の人たちと交流しながら生活をしていくというのはつまらないようですが、ある意味尊いことです。

江戸時代の偉人たち

江戸時代は約260年間にわたって続いたこともあり、幕末まで多くの偉人たちを生み出してきました。島原の乱などの戦乱も一部にありましたが、基本的には平和であったため、多くの文化が花開くことになります。

最初には、江戸幕府の初代将軍となる徳川家康を紹介しなければなりません。三河岡崎城で生まれてからは、今川家の人質として活動し、忍耐を重ねて出生街道を突き進んだ武将です。最終的には豊臣家を滅ぼして、太田道灌が築いた江戸城を拡張して江戸幕府の繁栄の基礎を作りました。鷹狩りや漢方にも造詣が深いため、多趣味な偉人としても有名です。

江戸時代のご意見番としては、大久保彦左衛門と徳川光圀が代表的となります。大久保彦左衛門は三河時代からの老臣として知られ、晩年には三河物語を著しています。有名な逸話は創作が多いのですが、質素倹約を基本にした食生活を実践し、当時としては驚異的な長生きをしたことは事実です。徳川光圀水戸黄門として名高く、日本で最初にラーメンを食べた偉人としても知られています。実際には水戸と江戸を行き来することが多く、時代劇のような諸国漫遊は創作だったのですが、大日本史の編纂に関わっているため、博学なお殿様であったことは確かなようです。

江戸時代の学者では、養生訓を著した貝原益軒は特別な存在です。養生訓は現在の健康バイブルのようなもので、長生きするための心得が分かりやすい言葉で書かれています。さらには、漢方に関する逸話も多く紹介されていることも特色です。食事に関する項目には、現代人にとっても参考になる部分が多いです。食べ過ぎや栄養の偏りが気になるときには、養生訓を読み直すだけでも気分が違ってきます。

江戸時代の土木技術者では、関東郡代伊奈忠次が代表的です。徳川家康の時代から活躍した武将で、関東流の土木技術の使い手でもありました。江戸は利根川や荒川などが流れ込む場所で、下町低地は湿地帯になっていました。そのままの状態では庶民が快適に暮らすことができませんから、徳川家康利根川東遷を行うことを決意して、伊奈忠次が工事の陣頭指揮を行うことになったのです。伊奈忠次の尽力によって、江戸湾に流れていた利根川は銚子方面へと流れを変えて、江戸で都市開発を行うための基礎が完成しました。伊奈忠次が始めた工事は子孫へと受け継がれ、見沼代用水の開削も行われたことから、当時世界一の人口を誇った江戸の台所を支える穀倉地帯が形成されています。