世界の偉人についてのブログ

偉人に関する話題を取り上げていきます!!!

偉人には迷惑な人が多い

古今東西、偉人は多くいましたが、素晴らしい名作を作り続ける芸術家が、近隣では大迷惑な人で、関わり合いになりたくない人のということは歴史上、多くありました。例えば、次々と名作を生み出し続けた文豪、太宰治は、作品の中で、人情と友情の切なさ、生きることの素晴らしさについて語りながら、本人は何度も芸者と心中未遂を繰り返し、中には太宰だけが生き残って相手の女性だけが死んでしまったという事案もありました。

まさにこれは近くにいると迷惑な人なのでしょうが、美青年である彼はきっと情熱的な愛の言葉を多くの女性たちに投げかけていたのではないでしょうか。意外なことに作曲家や作家の数多くがアルコール依存症で、泥酔しながら作品を書いていました。ベートーベンは酔って路上をふらついていたのをよく見られていましたし、ヘミングウェイ、リスト、ブラームスも酔っ払いでした。シューベルトは公的な晩餐会で泥酔してみっともない姿を度々目撃されています。また、シューマンに至っては、カーニバルの時に酔って宿屋の女主人のスカートの中に手を突っ込んでいました。

最近有名になった、発達障害という概念がありますが、これは、古くはエジソンが注意欠陥多動障害ということで、落ち着きが全くなく、1時間の間に5分ほどの落ち着いた時間があれば良かったそうで、勉強を教えた母親は大変な苦労をしたそうです。後に偉人となったエジソンは、次から次へと発明を繰り返したのはこの障害があったからかも知れません。

コンピュータ技術者で偉人と言われ、次々と最新のテクノロジーを生み出し続けている人々の中にも発達障害の人は多いと言われています。彼らは全く俗世間のことは気にせず、自分が好きなエンジニアリングとテクノロジーのことについてだけは天才的な知識はありますが、日常生活の能力は、からきし駄目な人が多いのです。

シナリオライターや戯曲家、最近の作家、作曲家、歌手などのアーティストにも近くにいたら大迷惑という人は多いようです。アルコール、薬物依存、刑法犯罪者、遠くの偉人としては感心はするのですが、近い関係だったら大迷惑でしょう。

考えてみれば、私たち凡人は、凡人なりに生活していき、世間に迷惑をかけることなく訥々と生活していけばよく、近くにいる人々が偉人の必要性はありません。ごく普通の生活をして、ごく普通の人たちと交流しながら生活をしていくというのはつまらないようですが、ある意味尊いことです。

江戸時代の偉人たち

江戸時代は約260年間にわたって続いたこともあり、幕末まで多くの偉人たちを生み出してきました。島原の乱などの戦乱も一部にありましたが、基本的には平和であったため、多くの文化が花開くことになります。

最初には、江戸幕府の初代将軍となる徳川家康を紹介しなければなりません。三河岡崎城で生まれてからは、今川家の人質として活動し、忍耐を重ねて出生街道を突き進んだ武将です。最終的には豊臣家を滅ぼして、太田道灌が築いた江戸城を拡張して江戸幕府の繁栄の基礎を作りました。鷹狩りや漢方にも造詣が深いため、多趣味な偉人としても有名です。

江戸時代のご意見番としては、大久保彦左衛門と徳川光圀が代表的となります。大久保彦左衛門は三河時代からの老臣として知られ、晩年には三河物語を著しています。有名な逸話は創作が多いのですが、質素倹約を基本にした食生活を実践し、当時としては驚異的な長生きをしたことは事実です。徳川光圀水戸黄門として名高く、日本で最初にラーメンを食べた偉人としても知られています。実際には水戸と江戸を行き来することが多く、時代劇のような諸国漫遊は創作だったのですが、大日本史の編纂に関わっているため、博学なお殿様であったことは確かなようです。

江戸時代の学者では、養生訓を著した貝原益軒は特別な存在です。養生訓は現在の健康バイブルのようなもので、長生きするための心得が分かりやすい言葉で書かれています。さらには、漢方に関する逸話も多く紹介されていることも特色です。食事に関する項目には、現代人にとっても参考になる部分が多いです。食べ過ぎや栄養の偏りが気になるときには、養生訓を読み直すだけでも気分が違ってきます。

江戸時代の土木技術者では、関東郡代伊奈忠次が代表的です。徳川家康の時代から活躍した武将で、関東流の土木技術の使い手でもありました。江戸は利根川や荒川などが流れ込む場所で、下町低地は湿地帯になっていました。そのままの状態では庶民が快適に暮らすことができませんから、徳川家康利根川東遷を行うことを決意して、伊奈忠次が工事の陣頭指揮を行うことになったのです。伊奈忠次の尽力によって、江戸湾に流れていた利根川は銚子方面へと流れを変えて、江戸で都市開発を行うための基礎が完成しました。伊奈忠次が始めた工事は子孫へと受け継がれ、見沼代用水の開削も行われたことから、当時世界一の人口を誇った江戸の台所を支える穀倉地帯が形成されています。

好きな日本の偉人

何気ない雑談で「好きな日本の偉人」について話題になる事ってありますよね。
その場合大抵の人が戦国時代の武将や幕末の侍たちを挙げますが、実はそれ以外の時代にも魅力的な偉人はたくさんいます。その辺りをメインに私が好きな日本の偉人をまとめ、語っていくのが今回のテーマです。

まず好きな日本の偉人を挙げるなら絶対「佐々木道誉」は絶対に外せません。
聞きなれない人が多いかもしれませんが、それもそのはず。佐々木道誉鎌倉時代の末期から室町時代の初めに活躍した武将です。この辺りの時代は源平が終わって後は戦国時代に突入するまでの時代なので影が薄い印象がありますが、そんな事はありません。力が強まったばかりに傲慢になっていく鎌倉幕府を打倒するために立ち上がった武将たちと後醍醐天皇、倒幕後の対立、そして日本に天皇が同時に2人おられるというイレギュラーなど歴史の醍醐味が満載です。是非大河ドラマになってほしいですが、南朝北朝の問題はデリケートなので無理だというのは知っています。悲しい。

そんな時代に生まれた佐々木道誉は変わり者の策略家です。
自分の家を守るために勢力の立ち位置を巧みに変えたりしますが、戦火に巻き込まれる京都を去る直前に自分の屋敷を正月飾りをしていくという粋で派手な行動はいつしか「バサラ大名」と呼ばれるほどになりました。晩年は力を失い、寂しいものですが魅力的な偉人である事に違いはありません。

粋と言えば「十返舎一九」も好きな偉人のうちでは粋な男というイメージがあります。
弥次さんと喜多さんが登場する物語「東海道中膝栗毛」の作者として有名な十返舎一九は江戸時代の後期に誕生しました。元々は武家の人間で、幼い頃は武士になる道を進んでいましたが、大阪に行ってからはその道を止めて浄瑠璃作者となったそうです。その後江戸に戻った一九は本格的に戯作を作るようになり、山東京伝曲亭馬琴に並ぶ大物になりました。

彼を語るうえで欠かせないエピソードは死後です。
一九は「死後、遺体は火葬にしてほしい」と遺言を残していました。江戸時代は土葬が主で、火葬は珍しい時代です。皆は首を傾げますが、遺体が火葬されてようやく一九が火葬を選んだ理由は分かりました。何と一九はあらかじめ懐に花火を入れ、その花火が添加して派手に上がったのです。一九らしいエピソードですが、実はこの話は初代林屋正蔵による創作であるとされています。

あとは「説教強盗」の妻木松吉やカップヌードルの生みの親である安藤百福さんなど日本にはまだ魅力的な偉人たちがあふれています。

マザーテレサに学ぶ

世の中には、ほかの人ではなしえないような偉業を達成する人がいます。その人を偉人と言ったりしますが、偉人は時として突然に現れることがあります。例えば、中学校の英語の教科書に出てくるマザーテレサなどは偉人の一人と言えるでしょう。自らの財産すら貧乏な人に与え、多くの人から慕われました。マザーテレサが偉人といわれる理由の一つは自らの欲をなくしていることです。自分の欲をなくし、貧しい人に与えることで、たくさんの人を感動させ話題になりました。世界には80億人以上の人間がいますが、自分の欲をなくすことがいかに難しいかは、マザーテレサのような人が現れないことからわかるでしょう。人間には皆欲があるにもかかわらず、マザーテレサのように行動できるのは、自分を捨てることではなく、自分は社会にとって重要な人物だと認識することから始まります。
マザーテレサの場合であれば、人を助けることが自分自身の役割であることを認識していたのでしょう。自分の欲を捨てることに成功した人です。
そこから学ぶことができるのは、何も教科書的な話題だけではありません。ましてや、マザーテレサのように自分の欲をなくし人に与えることができる人はほとんどいません。世界では、自分の欲が強いばかりに人と争い多くの人を傷つけたりすることがあり得ます。
基本的には、人間には欲があります。マザーテレサのように自分の欲を持たずに行動をすることは難しいでしょう。もし私たちがまねをするとすれば、できるだけ自分の欲の器を小さくすることです。欲の器を小さくし、その中に自分の欲を入れていき、そこからこぼれたものをすべて他人に与えるようにすれば、マザーテレサに近い生き方をすることができます。
自分自身も満足できるだけでなく、多くの人を幸せにするでしょう。少なくとも人間によくがあるのは、決して自分を豊かにすることが目的ではありません。本来の欲の使い方は、自分自身に使うのではなく可能なかぎり他人に使うことが必要になります。ところが、少し油断すると、とにかく自分が一番になろうという気持ちが強くなり、他人のことを考えられなくなってしまいますが、その時はマザーテレサのことを思い出してみることも重要になるでしょう。
少なくとも、人間が生まれた理由は、自分が贅沢をするのではなく、自分自身を磨き、他人のために何か役に立つことをすることです。そこがぶれていなければ、偉人になれないまでも、よい生き方をすることができるでしょう。

現代人は偉人から学ばなくなっている

自分は偉人の話が好きでよく偉人の話を本で読んだり、アニメで見たりします。そんな時に凄いなと思うのは命がけで何事にもぶつかっているところだと思います。最近はどんどんとこうした話が無くなっていて、現代人はどんどんと偉人から学ばなくなっているという気もしています。学ぶというのが知ることになっていて、実践することになっていないような気がするのです。知識として知ることと、それをすることとは全く別の事なのですが、今はどんどんと知識人だけで出来上がっていて、偉人が出てこなくなっているという気がします。
特に良くないのが自分本位な人が増えていることです。何とこれを国レベルでするところが増えてきました。これまでの世界は概要的には自由競争をしながらも相手の国も慮るということを考えてきました。いわば、本音と建て前を使い分けることが出来ていたのです。ですが、最近は本音だけで国を動かす人が出てきてビックリです。それが人の我が儘であればいいのですが、これを国レベルでやるのですから、これでは偉人のしてきたこととは全く違うことになるといってもいいでしょう。何と自分の国さえ良ければ他の国はどうでもいいということを平気で言う人が選挙で選ばれるというのですから驚きです。
もっと、深く自分たちのことを知る必要があると思います。偉人の話を見聞きするだけではなく、理解をすれば、人間が一人では生きていくことは出来ない、つまり協調していかなければならないことが学べるでしょう。ですが、人はどんどんと楽をすることを考えてしまうようで、豊かになれば自分の権利を主張しだすということで、今では日本でも自国主義が出てきました。都民ファーストということで、都民が一番ということを言い出すところが人気を獲得したりするようになっているのです。
これまでの偉人が凄いのは、凄いことをしてきたということがあるのですが、自分が一番というのではなく、周りに学ぶということをしながら自分を育てることが出来た人たちだと自分などは思います。逆境で自分の命すら危なくなるようなことがあっても、自分の信念を貫いて偉業を成し遂げてきたのです。それは、権利を守ろうとかいうようなことではなかったはずなのですが、どうも人はいい暮らしをするようになると、それが当たり前のようになって、その権利を守ろうとするようです。今の自分たちがいい暮らしが出来ているのは、そうした偉人たちの偉業があったからで、自分たちが作ったものではないのですが、そこに気づく必要があると感じます。

聞けば聞くほど面白い

世界にはいろいろな偉人がいますが、偉人の話は聞けば聞くほど面白いと思います。それだけに尊敬も出来る気がします。成功していることも失敗していることもありますが、どちらの話を聞いても参考になることが多いのが凄いところだと感じます。
現代でもいろいろと凄い人はいるのですが、やはり昔の偉人の方がなんとなく面白いと感じることが多い気がします。というのは、昔の偉人は命をかけて自分のすべきことをしている気がするからだと思います。現代のすごい人は確かにすごいのですが、安全なところで命がけとは違うところで凄いので昔とは感動のレベルが違うような気がするのです。昔の人はトップに登りつめても常に命がけでした。そのため、自分の得た経験などを家訓として子孫に伝えたりすることもよくあります。生き残るということがそれだけ難しいような時代もあったわけで、そうした人たちが為してきたことを考えていると、今の自分がどれだけ恵まれているのかということも分かる気がします。
昔の偉人には政治家というか独裁者が多いわけですが、今の政治家とは全く違うところがあります。それが自分の命を懸けて政治をしているところです。よく独裁者と勘違いされて悪役になるようなこともありましたが、昔の政治家というのは命がけです。平和な時であれば問題なく勤まるかもしれませんが、いざことが起きると命を懸けて自分の所領を守らなければなりません。ですから、覚悟のほどが違うのだと感じます。自分に出来ることは全てやって常に戦っているのです。負ければ死ぬというような状態で政治をしている人と、今の政治家のように権力だけが欲しいというのとでは全く意味が違うでしょう。偉人の話を聞くたびに、今の政治家の駄目さ加減が分かるような気がします。これは能力ではなく、根底にある覚悟の差だと思うのです。偉人のすごいところは能力でもなくて、この覚悟のほどが違うので、話を聞いたり、本で読んだりしていて、この覚悟に感動をするのだと自分などは思うようになっています。能力は確かに人並外れた人もいるのですが、それを伸ばしていけるかどうかは、本人の考え方によります。そして、自分の考えた通りにするというのは、昔の人ほど難しかったはずです。その状態で自分の考えた通りに出来るというところが凄いところです。現代ではまるで聞くことが出来ないような苦労話が聞けるのが偉人伝ということになるのかもしれません。

日本人に人気の高い偉人

人類の長い歴史を紐解いていくと、偉人と呼ばれる人々が数多く存在します。偉人とは、優れた仕事を成し遂げて世の中のためになる功績を残した人であります。偉大な人であり、多くの人々から広く尊敬される存在の人なのです。この文字の「偉」には、並外れる、特別優れているなどという意味を表す漢字であり、その文字を使った「人」であることからも、特別な存在であることが分かります。
日本の中にも数多くの偉人と呼ばれている人が存在します。どの偉人も非凡なる才能や思想、その行動力によって生前から人々の注目を集めていた人がほとんどですが、その人物が亡くなった後に、時間の経過と共にその人物が残した形跡等が広く評価されて偉人と呼ばれる様になる場合も少なくないのです。
日本をはじめ世界には数多くの偉人と呼ばれる人物が存在しますが、特に日本人の中で日本人に人気の高い偉人にはどのような人がいるのでしょうか。日本においてはたくさんの人々が様々な方法で、日本人が考える日本の偉人についてアンケート等で人々の意識調査を行ってきています。日本の長い歴史の中で偉人と呼ばれる人の数は非常に多く、様々な人物の名前が挙がりますが、どのタイミングであっても人気の高い上位にランクインする偉人としては、坂本龍馬織田信長の名前は必ず上位に挙がります。
坂本龍馬とは江戸時代末期の土佐藩郷士であり、江戸幕府を倒して大政奉還を成し遂げ、明治維新に貢献した実業家でもあります。政治の実権を武力ではなく平和的な方法で征夷大将軍から朝廷(天皇)に移行することに成功したことでも有名です。時代の先を見据える眼力と、人とは違う信念や考えを貫き通す力、現代社会に繋がる日本の新しい時代の幕開けを行った人物として尊敬されているのです。
尾張戦国大名の家に生まれた織田信長は、一大名の家元に生まれながらも天下統一への道筋を立てた戦の名手として有名です。また、政治的手腕の高い人物としてもその名前は知られています。関所の廃止や楽市楽座の政策などでて経済の発展を成し遂げます。有名な長篠の戦いでは、最新兵器である鉄砲を使用することで敵武将を圧倒していきます。
変わり者と呼ばれても新しいものを取り入れる姿勢や信念を通すカリスマ性などに魅力を感じる人は少なくありません。
このように、人々がこれらの偉人に惹かれる理由としては、一つの時代を築き上げたその強さや行動力にあるとも言えます。その偉人が成し遂げた功績の根底には、揺るがない強い志や信念が存在します。時代の先を見据えた深い考えや行動力は、時代を超えて人々の心に大きな共感と尊敬の念を感じさせるのです。いつの時代にもそのような強さを持ってリーダシップを発揮できる人物に人は強く惹かれるのです。