世界の偉人についてのブログ

偉人に関する話題を取り上げていきます!!!

聞けば聞くほど面白い

世界にはいろいろな偉人がいますが、偉人の話は聞けば聞くほど面白いと思います。それだけに尊敬も出来る気がします。成功していることも失敗していることもありますが、どちらの話を聞いても参考になることが多いのが凄いところだと感じます。
現代でもいろいろと凄い人はいるのですが、やはり昔の偉人の方がなんとなく面白いと感じることが多い気がします。というのは、昔の偉人は命をかけて自分のすべきことをしている気がするからだと思います。現代のすごい人は確かにすごいのですが、安全なところで命がけとは違うところで凄いので昔とは感動のレベルが違うような気がするのです。昔の人はトップに登りつめても常に命がけでした。そのため、自分の得た経験などを家訓として子孫に伝えたりすることもよくあります。生き残るということがそれだけ難しいような時代もあったわけで、そうした人たちが為してきたことを考えていると、今の自分がどれだけ恵まれているのかということも分かる気がします。
昔の偉人には政治家というか独裁者が多いわけですが、今の政治家とは全く違うところがあります。それが自分の命を懸けて政治をしているところです。よく独裁者と勘違いされて悪役になるようなこともありましたが、昔の政治家というのは命がけです。平和な時であれば問題なく勤まるかもしれませんが、いざことが起きると命を懸けて自分の所領を守らなければなりません。ですから、覚悟のほどが違うのだと感じます。自分に出来ることは全てやって常に戦っているのです。負ければ死ぬというような状態で政治をしている人と、今の政治家のように権力だけが欲しいというのとでは全く意味が違うでしょう。偉人の話を聞くたびに、今の政治家の駄目さ加減が分かるような気がします。これは能力ではなく、根底にある覚悟の差だと思うのです。偉人のすごいところは能力でもなくて、この覚悟のほどが違うので、話を聞いたり、本で読んだりしていて、この覚悟に感動をするのだと自分などは思うようになっています。能力は確かに人並外れた人もいるのですが、それを伸ばしていけるかどうかは、本人の考え方によります。そして、自分の考えた通りにするというのは、昔の人ほど難しかったはずです。その状態で自分の考えた通りに出来るというところが凄いところです。現代ではまるで聞くことが出来ないような苦労話が聞けるのが偉人伝ということになるのかもしれません。

日本人に人気の高い偉人

人類の長い歴史を紐解いていくと、偉人と呼ばれる人々が数多く存在します。偉人とは、優れた仕事を成し遂げて世の中のためになる功績を残した人であります。偉大な人であり、多くの人々から広く尊敬される存在の人なのです。この文字の「偉」には、並外れる、特別優れているなどという意味を表す漢字であり、その文字を使った「人」であることからも、特別な存在であることが分かります。
日本の中にも数多くの偉人と呼ばれている人が存在します。どの偉人も非凡なる才能や思想、その行動力によって生前から人々の注目を集めていた人がほとんどですが、その人物が亡くなった後に、時間の経過と共にその人物が残した形跡等が広く評価されて偉人と呼ばれる様になる場合も少なくないのです。
日本をはじめ世界には数多くの偉人と呼ばれる人物が存在しますが、特に日本人の中で日本人に人気の高い偉人にはどのような人がいるのでしょうか。日本においてはたくさんの人々が様々な方法で、日本人が考える日本の偉人についてアンケート等で人々の意識調査を行ってきています。日本の長い歴史の中で偉人と呼ばれる人の数は非常に多く、様々な人物の名前が挙がりますが、どのタイミングであっても人気の高い上位にランクインする偉人としては、坂本龍馬織田信長の名前は必ず上位に挙がります。
坂本龍馬とは江戸時代末期の土佐藩郷士であり、江戸幕府を倒して大政奉還を成し遂げ、明治維新に貢献した実業家でもあります。政治の実権を武力ではなく平和的な方法で征夷大将軍から朝廷(天皇)に移行することに成功したことでも有名です。時代の先を見据える眼力と、人とは違う信念や考えを貫き通す力、現代社会に繋がる日本の新しい時代の幕開けを行った人物として尊敬されているのです。
尾張戦国大名の家に生まれた織田信長は、一大名の家元に生まれながらも天下統一への道筋を立てた戦の名手として有名です。また、政治的手腕の高い人物としてもその名前は知られています。関所の廃止や楽市楽座の政策などでて経済の発展を成し遂げます。有名な長篠の戦いでは、最新兵器である鉄砲を使用することで敵武将を圧倒していきます。
変わり者と呼ばれても新しいものを取り入れる姿勢や信念を通すカリスマ性などに魅力を感じる人は少なくありません。
このように、人々がこれらの偉人に惹かれる理由としては、一つの時代を築き上げたその強さや行動力にあるとも言えます。その偉人が成し遂げた功績の根底には、揺るがない強い志や信念が存在します。時代の先を見据えた深い考えや行動力は、時代を超えて人々の心に大きな共感と尊敬の念を感じさせるのです。いつの時代にもそのような強さを持ってリーダシップを発揮できる人物に人は強く惹かれるのです。

アインシュタインが遺した数々の名言

数多く存在する偉人たちの中でも私にとってとくに興味深い人物として挙げられるのが、「アルベルト・アインシュタイン」です。現代物理学の父とも評される彼は、調べれば調べるほどに不可解な偉人で、興味が尽きません。彼は1905年の「特殊相対性理論(Special relativity)」と、それを発展させた1915から16年の「一般相対性理論(General relativity)」により、人類がおよそ2000年にも渡る長い時間をかけて築き上げてきた世界の像を、根底から覆してしまいました。彼の考えが世に発表されるや否や、それまでの常識は常識ではなくなります。なにせ、彼の唱えた説というのが、時間や空間は恒久不変なものではなく、時と場合によって伸び縮みするものであるというものなのですから、当時に生きた人々にとっては、今まであった普通というものまで疑いたくなってしまうほどの衝撃だったことでしょう。
また、アルベルト・アインシュタインは科学的な成果のみならず、とてもユニークな考え方をする哲学者としても知られている偉人です。物腰は非常に柔らかく、とても大らかな人間性だったと言われる彼には、彼独自の物の見方・捉え方があり、それは彼の遺した数々の名言からも伺うことができます。「信仰のない科学は不完全だ。科学のない信仰は盲目だ。」という名言からは、彼が一科学者であると共に哲学者でもあったということを、明確に表している一言です。
そして私がとくに興味深いと思っているのが、「私は未来のことを考えたことはない。すぐに現実になるからだ。」という一言です。これは言葉をそのまま捉えれば、私たちが考える未来はすぐ次の瞬間であり、考えても仕方のないことだいうような意味に受け取れます。しかしほんの少し見方を変えれば、現実というのは私たちの思考が具現化したものであるというような意味にも捉えられるのではないでしょうか。現実になることというのは、全て自分の思考であり、だからこそ未来を考えることはしないと。
こんな風に、見方を変えるだけで色々な意味として捉えることのできる名言を、アルベルト・アインシュタインはいくつも遺しています。それこそが、彼が科学者であり哲学者でもあった証明だと、私は考えます。深い思考があったからこそ、素晴らしい偉人の一人であるアルベルト・アインシュタインは現代物理学の父と呼ばれるまでの人物となったのでしょう。

アイデアの源

今の私たちの便利な暮らしは、過去の偉人たちによって作られたと言っても過言ではありません。過去に存在した偉人の誰か一人が欠けていたなら、今のような生活を送ることはできていないはずです。それほどに、彼または彼女らは人類にとって必要不可欠な研究結果や成果を生み出してきました。
病気になっても薬を飲んだり、適切な治療を受けたりして症状を改善することができるのは、過去に生きた人々が命を懸けて改善策を見つけ出してきてくれたからです。夜になっても明るい電気のもとで楽しく生活できるのも、発明家が電気というものを見つけ出し、活用する術を見つけ出してくれたから。世界中の国を楽に訪れることができるのだって、優れた乗り物を作り出してくれた人たちが存在するからであり、彼または彼女たちの内の誰か一人でも欠けていたならば、今のような過ごしやすく快適な生活は実現していなかったであろうと、十分に考えられます。
私たちの生活は、過去の偉人たちによって支えられているのです。ですから、毎日の平和な生活に感謝するだけでなく、過去に生きたさまざまな分野の偉人たちに対する感謝も忘れてはいけないと、私は考えます。
当たり前に存在するものなど何一つないこの世の中に、人々がより暮らしやすく便利になるような発展や進化をもたらしてくれた偉人たちに対する尊敬と感謝を持ち続けることで、新たな発見や気付きがあるのではないでしょうか。
偉人たちについて調べていると、彼または彼女たちの多くは、日々の暮らしや周囲の人々に対して常に感謝を忘れなかったということに遅かれ早かれ気付きます。ある偉人は一日に「ありがとう」と何回も言っていたそうです。
素晴らしい発明や発見をした偉人たちは、いつだって感謝の気持ちを持ちながら、多くの人の幸せのために研究や開発に取り組んでいたのではないかと思うのです。自分のためではなく誰かのためだからこそ、途中で諦めてしまうことなく、最後の最後である「成功」の日まで、必死に突き進めたのではないでしょうか。
このように考えると、偉人たちが遺したものは単に素晴らしい研究結果や発見・発明というものだけでなく、もっと奥の深い、心の面での教えまで遺してくれてるのではないのだろうかと思えてならないのです。誰かのためだからこそ、より便利でより優れたものを求められます。そこには究極の利他的考えが存在し、そういった考えからいつの時代も光り輝くアイディアというものは生まれてくるものなのかも知れません。

偉人たちの本を繰り返し読んだ過去

両親が毎日忙しく働いていたために、ろくに遊びにも連れて行ってもらえず構ってももらえなかった私は、自然と本の世界にのめり込んでいきました。ファンタジーものや冒険ものなどのさまざまなジャンルの本を読みましたが、中でもとくに興味津々で読んだのが、過去の偉人について書かれた本です。
偉人たちは皆がそれぞれに自分たちの信念を貫くために努力し、その結果、現在に伝わるような成功を手にしています。彼らの遺した成果や結果は現代を生きる私たちの生活を支えてくれており、彼らがいなければ無かったものです。そう考えると、彼らのことをもっともっと知りたくなり、小学校・中学校・高校と、常に偉人について書かれた本を持ち歩いては、繰り返し読み続けました。
沢山の偉人の中でもとくに私が好きなのが、アルベルト・アインシュタインです。よく使用されるアインシュタインの写真が舌を出しているもののせいか、よく変わり者という表現を使われたりもしますが、私は彼のことを心の底から尊敬しています。彼の遺した言葉の数々が、幼少期を寂しい気持ちで過ごした私を支え、育ててくれました。彼の言葉の中に「空想は知識より重要である。知識には限界がある。想像力は世界を包み込む。」というものがあり、私はその言葉が大好きです。
本を読むことが好きだったので、勉強も同じだけ好きだった私は、学生の内に精一杯勉強に励みました。毎日毎日とにかく必死で勉強し、時には一日2時間ほどしか睡眠をとらなかったり、寝ずに十日間もの間ずっと勉強し続けたりもしました。そんな時にふと、知識には限りがあって、頭で考えているだけでは物事を成し遂げることはできないのではないかと気が付いたのです。一方、想像というのは無限の可能性です。過去に存在した偉人達は皆、知識から何かを発明・発見したのではなく、想像力から何かを思い描き、それを実現してきました。まず、想像力があったからこそ、実現したり立証する行動に繋がり、底意知識が加わったことで確かなものになったのです。このことが分かった時、私の身体には電撃のような衝撃が走りました。
それからは、もう一度新たな角度から偉人たちについて調べるようになりました。すると、彼らの成功の原点には必ずまず想像や妄想があることが分かりました。アインシュタインの遺してくれた言葉が今の私に新たな気付きを与え、それにより私のものの見方や捉え方が大きく変わることとなりました。
すべては想像からはじまる。想像が無ければ何も始まらないのだと分かってからは、常に自分にとって「こうだったらいいな」ということを想像し、それを実現するための行動を起こしています。

偉人の歴史を知る事はどのような意味があるのか

私たち人類が文明を築きながら社会を構築してきた長い歴史の中では、世界中に数多くの偉人と呼ばれる人々を生み出してきました。偉人とはすなわち、歴史にその名前と功績が遺るような人物であり、並外れて優れた才能を持っていた人物のことを示します。「偉」という字には「滅多にないほどに優れている」という意味を示す感じであることからも、その名前の偉大さが分かります。
長い歴史の中で国境を越えて語り継がれている多くの偉人には、その偉大さが生前の時から評価されて多大な功績を認められている人もたくさんいますが、その人物が亡くなった後に、時代の経過と共にその素晴らしさや功績がたたえられていく人も少なくありません。その人物が生きている時代には、世間の常識や考え方を覆すような主張を唱えて咎められたりする場合もあるのです。また、多くの逆境や困難にも負けずに立ち向かって何かしらの光を見いだしてきた多くの人々もも現世まで語り継がれています。
数多くの偉人に関しては、その人物の一生涯の歴史を通して、その人物の人となりや社会に残した功績や道筋を学ぶことができます。世界中に存在してきた数多くの偉大な人々の伝記は、書物などになり世界中で目にすることができます。古い歴史上の偉大な人物であれば、紀元前まで遡ることもできます。それでは、これらの偉大な人々の歴史を知る事にはどのような意味があるのでしょうか。
後世に何かしらの功績を残すような偉大な人物は、元々の持って生まれた特異まれなる才能がある場合も少なくありません。子どもの頃からその能力を発揮したり、成長過程で大きく開花する場合もあります。しかしながら、例え大きな才能があったとしても何の苦労もなく自分の目指す場所にたどり着けられる人はいません。
偉大な人々の生きた歴史を知る事は、その人の苦労の道程を知る事でもあります。困難にぶつかったときにどのように乗り越えてきたのか、どのような考えや方法で信念を貫いてきたのかを、現世に残っているその人物の功績を今の時代で感じながら知る事ができます。
例え時代が変わっても過去の出来事の一つの記録と言うだけではないのです。過去から現代、未来へと続く歴史は数多くの人々によって紡がれてきた人類の歩みでもあり、その歴史は現代社会にも当然通じる普遍的な考えであったり、事実でもあるのです。
偉人の歴史を知る事は、私たち人間が生きていく上で必要な大切なことをそれぞれの時代に合わせて教えてくれます。それは人としての考え方であったり、周囲の人々の幸せを願う気持ちであったり、普遍的な人間の思い出あったり、偉大な発明だったりなど様々です。それらの功績の積み重ねが現代社会を築く礎になり、未来へと繋がっているのです。

偉人を扱ったテレビ番組はけっこう面白い

現在の地上波のテレビでは、お笑いのような軽く楽しめるバラエティー番組や、ちょっとした知識を得ることができるクイズ番組が数多く放映されていて、見ごたえのある教養番組や報道番組が少なくなったと嘆いている人もいるでしょう。確かにそういった番組は、仕事などで疲れて帰った時に見るには適さないでしょうから、手軽に見られることが魅力である地上波のテレビにはあまり向いてないと言えるかも知れません。しかし現在では衛星放送やケーブルテレビを利用すると、大変多くのチャンネルを見ることができるようになっていて、その中には地上波よりも硬めの番組を放映しているところもありますし、またインターネット上のオンデマンドサービスを利用すれば、昔放映された番組を見ることも可能となっています。教養番組のような見ごたえのある番組が見たいのであれば、そういったメディアにまで手を伸ばすことにより、その望みをかなえることは不可能ではないと言えるでしょう。またこれまでは教養番組に関心がなかったという人も、機会があれば一度見てみると、新しい発見ができて充実した時間がすごせるかもしれません。
教養番組にも色々な種類がありますが、中でも歴史的な偉人の生きざまを取り扱った番組は人気があります。偉人の生きざまというと、どうしても教訓を得ようとしたり、感銘を受けようとしたりといったように、畏まった態度で見るようなイメージを持ってしまうかも知れませんが、一つの人間ドラマととらえてエンターテイメント感覚で見てみると、けっこう面白く見られるのではないでしょうか。番組で取り扱う人によって、また取り上げる番組のテイストによって、その面白さの方向性は色々と変わってくるでしょうが、少なくとも好奇心は満たしてくれるはずです。
今では偉人と呼ばれるようになった人でも、子ども時代はかなりやんちゃだったり、学生時代は不真面目に生きていたりといったことも少なくないので、彼らを扱った番組を見てみると、意外と親近感を覚えることがあります。それによって、彼らも自分たちとあまりにかけ離れた聖者のような人物ではなく、人間味のある存在だというイメージが持てることも珍しくないでしょう。逆にあまりにも素晴らしい人生を生きていたことが番組の中で強調されると、すごい人がいたものだと素直に感心したり、自分にはそこまですることは絶対にできないと感じたりといったこともあります。さらに意外に駄目な部分があったことが紹介されると、あまり知りたくなかったと複雑な気分になることがありますが、それもまた興味深い部分だと考えられます。